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幻の任天堂プレイステーションが約3800万円で落札。そもそもどんなゲーム機なのか

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2020年2月27日から行われていた幻のゲーム機”任天堂プレイステーション”のオークションがついに終了した。最終落札価格は約3,800万円。当初所有者がノルウェーの富豪から打診されていた120万ドル(約1億3,000万円)と比べればいくらか落ち着いた価格にはなった形だ。ここまでの注目を集める、任天堂プレイステーション、実際にはどのようなハードだったのだろうか。

ことの起こりはスーパーファミコンから

現在でこそ、2台巨頭としてゲーム界を席巻している任天堂とSonyだが、もともとは互い協力しあうような関係にあった。両社の協力関係その発端は1980年年代にさかのぼる。その年、任天堂から満を持して発売されたのがファミコンに次ぐ次世代機、スーパーファミコンだった。スーパーファミコンは画質もさることながら、当時最先端の音源を搭載、のちに残る数々の名作を生みだした。それを支えたのが、Sonyが任天堂に提供したPCM音源だったのである。

音源の提供以後も任天堂とSonyの関係は続いた。その中で、当時任天堂との間に立っていたSonyの久夛良木 健(くたらぎ けん)氏が提案したのがスーパーファミコン向けのCD-ROMドライブの開発だった。1989年から開発が始まる、そのプロジェクトの名称こそが『PlayStation』だったのである。

その後1990年にはスーパーファミコンが発売される。そして1991年6月、アメリカシカゴで行われたCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)でSonyは試作機を披露することになる。ところが、その翌日任天堂は米フィリップス社と提携、CD-iD規格を用いたゲーム機の開発を発表した。Sonyからすれば全く寝耳に水の話、この件によって任天堂Playstationは事実上、お蔵入りとなった。日経の報道などによれば、ハードの担当のみを任されていたSony側が自前のソフトで実演を起こったことに対し当時の任天堂山内溥社長が激怒したことなどがあるようだ。最終的に、先行して世に出ていたメガドライブのメガCDなどの不人気をうけ任天堂側が開発を断念、こちらも日の目を見ることはなかった。

その後Sony側がPlaystationプロジェクトを引き継ぐ形で独自のゲーム機開発を行うことになる。それから紆余曲折を経て、1994年に世に出されたのがSonyのプレイステーションだった。その後、Playstationは任天堂64やセガ・サターンとの次世代機戦争を制し、今日まで続くシェアトップの座を得ることとなった。

2015年に任天堂Playstationが発見

さて、闇に葬られたゲーム機任天堂PlayStation。一説には試作機が200台作られたのではないか、という話もあったが、長らくその存在は確認されなかった。そんな中2015年ついにこの幻のゲーム機が発見された。発見したのはアメリカ在住のテリー・ティーボルト氏。2009年勤めていたAdvant社が倒産。その債務整理オークションで75ドルで落札した段ボール箱の中に、幻のゲーム機が詰め込まれていた。

当初テリー氏はこのハードが何なのかまったくわからなかった。息子のダン氏が米オンライン掲示板Redditで情報提供を呼び掛けたところ、再発見されるに至ったわけである。


その後ティーボルト親子は任天堂Playstationをお披露目するべく、諸国を漫遊、結果として金が底をついてしまったようで、今回のオークション出品となった。現時点で誰が落札をしたのかはわかっていないが、このゲーム機が持つ歴史的な役割に3800万の価値を見出したのだろうか、今後の動向を見守っていきたい。

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