スーパーファミコンコラム

スーパーファミコンのクソゲーあるある

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スーパーファミコン

押しも押されぬ名ハード

数多くの名作も生み出しましたが、その一方でそんな名作の陰に隠れたり、本当は隠れるはずだったのに、ゲームの本文とは外れたところで計らずも得ることになったのが、「クソゲー」

今のように成熟されておらず、過渡期にあったこの時期に、今では考えられないようなとんでもないゲームがたくさん生まれたのです。今回はそんなスーパーファミコンのクソゲーによくありがちな、点をクソゲーあるあるとしてご紹介したいと思います。

これからのスーパーファミコンライフ、またこれからスーパーファミコン始めてみたいけど、どんなハードかわからない、なんて方々の一助になれば幸いでございます。

1 ちからの入れ方が間違っている

これが一番この時期のクソゲーにありがちなことでしょう。

クソゲーの王として君臨する、「摩訶魔訶」「ボンバザル」通ごのみな「ドラッケン」など数多くのクソゲーがありますが、そのどれにも共通していることが、ちからの入れ方が間違っている、これはちょっと言い過ぎかもしれませんが、どうにも「なんでそこにそこまで力を入れたんだ?」というようなところに力を入れている、かけすぎていることが多いのです。

魔訶魔訶にしても、敵味方問わず、戦闘画面でのキャラクターはFFのようにデフォルメしたものではなく、アニメキャラクターをそのまま、再現したような頭身、デザイン、それに加え、すべてのキャラクターの行動にgifに近い感じのものとは言え、アニメーションが付与されていました。1992年当時のことですから、かなりすごいことです。

相原コージ先生の色が濃すぎるので、好みは分かれますが、すごいことだったと思います。

でもなぜ、ここなのか、数えきれないバグ、それもゲームの進行に影響を与えるようなものがあるにも関わらず、なんでここだけ、無駄に完成度を上げたのか、なぜ?

ボンバザルにしても同じです。このゲームは(こちらで詳しく紹介しています)単純なパズルゲームでシンプルかつ複雑ゲームとしては面白いのですが、スーパーファミコンで出す必要があったのか、無駄にボリュームが多いのではないかという疑問はありました。おそらくそんなユーザーの不満、疑問を先取りして、制作会社が作ったのが、3Dモードです。フィールドが立体的に見れるようになっているのです。知っている方だとメガドライブのランドストーカーみたいな感じでしょうか。(知らない人は調べてみてください。こちらはメガドライブの傑作です)よくできています。でも、ものすごく見づらいんですね。このボンバサルというゲームただ、フィールドに制限があり、落ちても一機なくなる仕様になっているので、シビアな操作が必要で、2D画面だとこれがやりやすいのですが、3Dモードだと、とてもやりづらいです。完成度が高いだけになぜ、付けたのか、なぜ、無駄だし邪魔極まりないです。

このように、ゲームの本筋とは関係がなかったり、まったく意味のないところにちからをいれているという、大きな特徴があります。

2. B.G.Mは、いい!

これは先ほどの無駄なところいちからを入れがち、というところにも関わるところでありますが、なぜか、クソゲーとして名高いゲームはBGMが名曲であることが多いです。

魔訶魔訶にしても、当時一台人気を誇っていたJ-WALKの知久光康氏を音楽に起用しています。

ボンバサルもシンプルながらずっと聞いていられるような、楽曲、ドラッケンもしかり、これからの過酷な冒険を感じさせるかっこよろしい音楽です。

ほかにも上げるときりがないのですが、本当にクソゲーは名曲ぞろいです。

外部からの力を借りている、ということもあるのでしょうか?この辺の謎は私のようなものではよくわかりません。でもこういうところに予算をつぎ込んでしまうから、あとでおかしくなっていることは間違いないでしょう。

こうした、「おで起業する」といって考えもなしに起業して3年たたずにつぶしてしまうような起業家たちと同じような、思考の様式がここには見受けられると思います。

3.なにやら全部が中途半端

これも大きな特徴、クソゲーあるあるの一つです。

ジャンプゲー界のクソゲー「Bastard」や「ジョジョの奇妙な冒険」を例に挙げてみましょう。

まず、バスタードに関しては、すべてが中途半端です。

奥行きのある、戦闘画面を採用した当時としては実に画期的な戦闘システムを有した格闘ゲームだったわけですが、ユーザーに対する説明不足、スーパーファミコンの制限のあるコントローラーでやるにはいかんせん無理がありすぎるという問題がありました。

それに加えて、当時人気絶頂のジャンプ、その中でもかなりの人気を誇った「Bastard」、この漫画の一つとして、膨大なキャラクターというのがあると個人的には思っているのですが、このゲームで使用することのできるキャラはわずか7人(ラスボス含め)

実に少ないです。すべてにおいて何やら中途半端です。

次に「ジョジョの奇妙な冒険」ゲームボーイアドバンスが人気だったころのジャンプゲーではよく採用されていた、RPGタイプのキャラゲーの先駆けのようなゲームでありました。(ちなみに北斗の拳もRPGでしたが、こちらも同様にクソゲーです)

戦闘画面や、フィールド画面で原作さながら(この当時再現できるレベルで、ですが)、キャラクターの顔が細かく表現されているのですが、その分キャラの顔に占領され、微妙に画面が狭かったり、なぜだか知りませんが、RPGというスタイルを採用したからなのか、原作の内容に微妙に改変が見られたり、(ポルナレフがなぜか町の書店の店員)ゲームそのものも、レベル上げの必要がそれほどなく、戦闘の楽しみがほとんどなかったりと、すべてにおいて中途半端だったりするのです。

なんだか残念、勢いで販売した感じがありありと伝わります。

4.だいたい、「いやっこれは絶対名作だよっ!」という人が一定数いる

これはこの時期特有の現象かと思いますが、

今の基準から言っても、その当時の基準から言っても明らかに完成度が低く、クソゲーであることに揺らぎはないのですが、スーパーファミコンのクソゲーの場合、一定数「いやこれは俺にとっては名作だから!」という地下アイドルの熱烈なファン、売れないバンドの追っかけ、こんな感じに似た人たちがいるのです。

これは今みたいに数千円で新品のゲーム(あるいは数百円、それも完成度が高い)が購入できたり、中古のソフト数も膨大にあるような現在ではなかなか置きづらいことのように思います。

この当時はソフトが一本10000円くらいしていた時代ですから、その当時大きなお友達だったりした人はともかく、親御さんに購入してもらっていたような人は毎年ゲームを買ってもらえる、好きなゲームを買ってもらえるなんてことはなかったことは想像に難くありません。

そんな中で、購入してもらったゲームがクソゲー→でもやるしかない→やり続ける→やったことのない人やちょっとしかやったことのない人がわからないであろう自分だけの良さを見つける→思い出深くなる→自分の中での名作になる

こんな涙ぐましい過程がこうした人たちのゲーム個人史の中に刻まれており、それが彼らの中でクソゲーが確固たる地位を築いた、きっかけになっているのでしょう。かくいう私もそうでした。初めてプレイしたRPGが魔訶魔訶、どんなバグでもめげず、楽しさを見つけてプレイしていました。友達に「なにこれつまんない」と本気の顔で言われたときに泣きそうになりながら、(実際それが正しいのですが)こんな、一部の人をクソゲー地獄に引きずり込む色欲の悪魔アスモデウスのような、悪魔的な魅力がある(あったはずなのです)のです。

それでも愛されるクソゲー

こんな感じで残念な、あるいは奇妙な特徴のあるスーパーファミコンのクソゲーではあるのですが、それでも愛されています。

やはりそれは先ほどかいたようなゲームに対する並々ならぬ思い入れに一つの要因があるかと思います。

もう一つとしてはその時代の勢いや、ゲームの歴史的な面白さつまりクソゲーだけどこの点が実は、、、

みたいな、ちょっと単にゲームをプレイするだけではない面白さがあるのではないかと思います。(単にネタ的な面白さもあります)

てなわけで、今回はスーパーファミコンのクソゲーあるあると称して、スーパーファミコンのクソゲーならではの特徴をご紹介してきました。

ちなみに今度予約が開始される「スーパーファミコンクラシックミニ」はクソゲーは一つも入っておりません。

おもろいソフトばかり、予約は今週の土曜日くらいから見たいです。

ヨーロッパやアメリカなんかでは予約がいっぱいになったりしているみたいです。

購入したい方は遅れないようにしましょう。ちなみに私はすでに時間的に予約は難しいです。残念

では

 

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