スーパーファミコンコラム

そして僕はスーパーファミコンにはまった。

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今から10年以上前、夏休み中の午後2時くらい

「あーあ!!」

という落胆の声が私の部屋の今に響き渡っていました。

「拡張パック持ってねーのかよ!」

「ムジュラできねーし!」

 

声の主はそう言い残すと、ムジュラの仮面を僕のクリスタルブルーの64からがっと引き抜き、彼の友人たちを引き連れ、僕の家から去っていきました。

その後ろ姿を僕はしばし茫然と眺めたあと、テレビからAVケーブルを引き抜き、クリスタルブルーの64をいつもの手順で箱の中そっとしまい、押し入れにしまい込みました。

それから高校生になるまで、64の箱が開かれることはありませんでした。...

拡張パックの悲劇

お若い読者の方はなんのことかはよくわからかないかもしれませんが、

私と同世代の方の中にはうんうんうなずいているかたや、おなじょうな思いをして、心の奥底にしまい込んでいた悲しい思い出がよみがえってきてしまったかもししれません。

私と同世代(20代中盤以降)の方たちにとってタイムリーな家庭用ゲーム機は

・プレイステーション

・任天堂64

この二つでした。高校生くらいになるとこれにプレイステーション2が加わるわけですが。

ただ、プレイステーションに関してはどちらかというとゲーマー向け、大人のお友達向けのものという感じで、なかなか一般的なおうちにはありませんでした。

これに対して64はどちらかというと、価格帯や、対応ゲームソフトも含め、大人も子供も、あまりゲームをやったことがない人も楽しめるようなものでした。

そんな64向けに任天堂が1999年に満を持して発売したのが

「メモリー拡張パック」という代物でした。

どういう代物なのかといいますと

64の初期のメモリーが4mbなのですが、この拡張パックを使うことによって9mbへと拡張し、より画質をきれいにしたり、と機能をアップさせることができたのです。

そんなメモリー拡張パックを使わないとプレイすることができないソフトのうちの一つが

「ゼルダの伝説ムジュラの仮面」だったわけです。

 

当時はこんな感じで大々的にCMをやったりしていて、

少年時代だった僕もおそらく世のほかの子供たちと同様に「王令してみたい」と思っていたのです。

ただ、新品のソフトは高くこちらも7000円くらいしていたので、当然購入することはできませんでした。

そんな思いをぶつぶつと教室で、つぶやいていると、いたんですね、ムジュラの仮面を持っている子が

そこで僕は何を思ったか、いやそうな顔をする彼にやらせてほしいと頼みまくったのです。

今もよくいるかはわかりませんが、その当時は結構お友達は家によんじゃダメ、見たいな親御さんがいて、彼の親御さんもそういった人でした。

そういうわけで、僕の圧に負けて彼が僕のうちにソフトをもって遊びに来てくれることになったわけです。

そして冒頭の話になるのです。

僕は拡張パックを持っていなかったのです。コマーシャルでもさんざん拡張パックがないとできないと宣伝されていたにも関わらず、僕の頭の中にはそんなことは入っておらず、とにかくムジュラをやりたいという気持ちでいっぱいだったのです。

そんなに仲がいいわけでもないのに半ば無理やり呼ばれたムジュラを持っている彼はあきれて、家を出て行ってしまったのでした。

そして僕はスーパーファミコンにはまった

冒頭の続きになります。

64をしまった後、申し訳ないような、なんだか非常にみじめな気持ちになった僕は、スーパーファミコンを取り出し、「アクトレイザー」をプレイし始めました。

もともとはスーパーファミコンはとりあえずうちにあるからやっている、という程度のものでした。

ですが、この事件を機に僕の中でのスーパーファミコンの順位は64を押しのけて1位にあがりました。

卑屈なきっかけですが、これを機にずぶずぶと僕はスーパーファミコンにはまっていったのでした。

ちなみにそのあとムジュラを持っていた彼とはお互いに誤り、仲直りをし、そのあと小学校卒業まで、一緒に遊ぶ仲になりました。

今となってはいい思い出です。

 

 

 

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